謝罪文(再掲)

はじめまして
http://b.hatena.ne.jp/K-Ono/20080926#bookmark-10147893
この件ように完全に嘘の情報を流すというのは、名誉毀損にあたります。
このような書き込みを真に受けてしまう人がこれ以上出ないように、あなたを訴える決意をしました。
まずは、はてなに K-Ono さんの IP の開示を請求し、その後、インターネットプロバイダのほうにあなたの氏名の開示を請求するつもりです。
ただ、こういった形でメッセージを送信しているのは、こちらとしても出来るだけ大事になるのは避けたいからであり、K-Ono さんが *誠意を持って* 謝罪し、「情報がまったくの嘘であった」と公の場で明確に説明していただけるのであれば、今回の件は取り下げます。
返信はこちらに、お願いいたします。
*e*j*o@gmail.com


以上の抗議を、天野仁史氏より平成20年9月26日午前9時13分付のはてなメッセージにて頂戴いたしました。
これまではてなブックマーク上で行なってきた、天野氏に対する「元ヤン」「地元時代〜」等の表現は、ITMedia等のインタビューで記事化された内容のうち瑣末的事項のごく一部を取り上げ、更にそこに根拠のない悪意のある増幅をかけたものであり、取材等の行為を一切行なわずに書かれたなにひとつ事実の伴っていないものです。
ここに天野氏へ行なった謂れ無き誹謗中傷につき、謝罪をいたします。申し訳ございませんでした。
また、Mailでの返信が出来ませんこと、アドバンス設定をしていないためはてなポイントの返却が出来ませんことを重ねてお詫び申し上げます。

平成20年9月26日     



開設にあたり恒久的反省のため、退会までトップ掲示をいたします。

だからもうほむらはひとりで泣かないでもいい

後編を見ました。きょうはチッタの日だそうで全日1,000円ですよ! まったくすばらしい! レイトショーすらないどこぞの大都会にあるなんとかきゅうみたいな腐った映画館とかは見習ったらどうですか! まあ本音いえば毎回入替制映画館とか滅びろカスとか思ってる人ですがそれはそれで。

前編が8話までを「詰め込んだ」ので、見せるべきところはていねいに時間を取ることができたという印象。

ただ、それが間延びに見えてしまうのも事実だった。特に10話のループ2回目以降の逆戻りシーンとか水没シーンとか。もちろん必要な説明ではあったのだけど、これは同じギャグを重ねて大きな笑いを取る手法でもあってもどかしい。そのせいか、TV版では完全に泣きポイントだった場所で涙が出なかった。TV版ではそこまでまわす頭の余裕がなかったので素直にループをループとして捕えていたのだろう。まあその分最後のまどかとほむらの邂逅で泣きましたが。たぶんこっちはTV版で完全に意味をつかめていなかったのが映画を見ることで自分なりに納得行く流れになっていたからだろうなと考える。

それと、因果の中心にまどかを据えたのはほむらだっていうけど、でもそれはまどかの絶望の規模だって大いに役割を果たしたじゃんねという想いがわいた。もちろんその絶望製造装置はほむらであるんだけど、それでもまどかは「なにも知らなかった頃の私を止めて」(意訳)とほむらに言い遺している。その時点でまどかは再度絶望が生まれることを受け入れているのではないかと思う。そのときほむらは気付くべきだった。

もうひとりだけが責を負うことではなくなったことを。
もうひとりぼっちではなかったことを。
もう誰にも頼らないなんて言わなくてもよかったことを。

そう、やっぱりほむらが主役だったんや!←もういいよ

ところで予告編では本編時間線の次が提示されるような感じを受けた。うん、細かいことはわかんないんだ、チッタではパンフずっと売り切れてるし。ある意味イチからスタートなので、予想とかそういうのはしないことにした。素直に楽しもう。

まどマギの前編を見た

なんてったって(死語)、おれ録画してあんのに本編見たのニコ生一気放送(2011/10/19の……おおほぼ1年前!)1回だけですんでそのへん夜露死苦(死語)。っていうか更新したのいつぶりだ。


ひとは死ぬ直前にこれまでの人生をまるで早送りのように脳内で再生するのだという。俗に走馬燈なんていうふうに呼ばれている。

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編]始まりの物語」はまるで走馬燈のようなものだった。後半の盛り上がりのところまで8話分、エッセンスを完全に詰め込んでいた。まどか、さやか、マミ、杏子、キュゥベエ、すべての関係を余すところなく描写し、しかも魔法少女の秘密も明確に提示した。ぶっちゃけ短時間で見られたぶんこっち見た方が理解度は高いと思う。
まあとにかく4時間分の内容を約半分にまとめた結果、シーンとして印象に残る場面はあまりない。そう、マミさんのあのシーンですらも! 淡々と進むのみだ。まさしく「ああ、こんなことあったなあ」「そうそうこんなこともあったなあ」という記憶の整理だ。

これではまるで我々がほむらになってしまっているではないか。
時間を巻き返し、みずからの願いのために魔法少女となって戦うほむらと。

ああ、ほむらは走馬燈をずっとずっとずっと見ているのだなあ。影絵がまわりつづける本来の走馬燈のように。終わることなくグルグルと。

──やっぱり主人公はほむらだったんや!(ドカバキ


TVシリーズ」という時間を巻き戻し、映画という「2度目の闘い」に挑んでいる我々は、後編+新作によって未来を変えることができるのだろうか。

少なくとも変わることは変わるだろう。そうでなければ我々が時間を巻き戻した意味がなくなってしまう。ただ、それがループからの脱出なのかまた新しいループへの突入かはまだわからない。後編も同じ時間確保されているのならば、のこり4話をまるまる流しちゃってもいいわけだが、そんなことはしないだろう。
それに、ほむらが巻き戻したことによって生じた因果も我々が巻き戻してしまったことによってさらに増強されてしまった。その強大な力を使い、まどかはどのような願いを望むのだろう。たぶんそのあたりが新作の話になってくるのだろうなあとは思う。


考えてみれば我々はいちど15年分以上を巻き戻すという壮絶なほむら体験をしていたのだった。エヴァで。しかも現在進行形でループに巻き込まれている。この秋は2つの大きなループがらせんになるのか、脱出不能なリングになるのか、はたまた新しいなにかが生まれる日になるのか、なんてことを考えはじめている。なんで小説オチになった。

アイマスライブのことを書いてたら記事っぽくなった

──のでとりあえず出しておく(笑)。久しぶりのエントリがこれだよ(笑)。

去る6月23日、横浜アリーナで「THE IDODLM@STER 7th ANNIVERSARY 765PRO ALL STARS みんなといっしょに!」初日が行われた。ファン……いや、プロデューサーたちの熱気は開場前からアリーナを覆い尽くすほどのものとなった。それもそのはず、今回のライブはそのテーマである「みんなといっしょに!」というだけあって、出演キャストが全員そろうという稀有な機会でもあったのだ。しかしその熱気は横浜だけではない。今回のライブは全国50ヶ所以上の映画館で同時生中継、ライブビューイングが行われており、プロデューサーたちの熱はまさに日本全国を覆い尽くすものだった。
高木順二朗社長、赤羽根Pによる諸注意に続いてついに開幕したステージ。新しい衣装に身を包んだキャストらが「READY!!」そして「CHANGE!!!」を歌い始める。そこに既視感を覚えた人は多かったのではないだろうか。そう、アニメ「アイドルマスター」のオープニングだ。ステージに立つキャストの姿が完全にアイドルたちとダブって見える。もちろん観客席のサイリウムの波もそのままダブって見えることは言うまでもない。
出演者によるあいさつのあとソロパートとして「乙女よ大志を抱け!!」「ALRIGHT*」が続く。また、ついにライブ初登場となった竜宮小町の「SMOKY THRILL」の次に「自分REST@RT」がチョイスされるなど、今回ライブで用いられた曲はアニメ版で使われたものが中心、そしてアニメを見ていた人に「ああ、あの時の!」と思い出させるような選曲となっている。とはいえ、ゲームからの楽曲がないがしろにされたわけではない。前半最後にはゲーム内やMASTER ARTIST内の曲や「TOWN」がメドレーとして登場、スクリーンに歌詞を表示させみんなで合唱するシーンも見られた。「TOWN」とはなにか。コールアンドレスポンスに、あのおなじみの「てってってー」が用いられたのだ。1万2000人の「てってってー」合唱は実に圧巻の一言であった。
ライブ後半は再びアニメ版の構成をフィーチャーした選曲。「キラメキラリ」「スタ→トスタ→」「自転車」など、アニメ版のエンディングで流れた曲だ。中でもやはり「約束」は、1番と2番での感情表現を変えるなど、見事に歌いぶりであった。そして放映最終話のエンディング「私たちはずっと…でしょう?」、そして先日放映された26話のエンディング「いっしょ」でステージは終了した。しかしもちろん客席からはアンコールの声が鳴り止まない。再度舞台上に現われたキャストたちは「THE IDOLM@STER」そして再びの「READY!!」をステージを縦横無尽にまわりながら熱唱。大歓声の中、ステージはすべて終了……とおもいきや、再びの社長&赤羽根Pが声の出演。赤羽根Pによる1本締めによって、これにて4時間にわたるライブは終幕となった。

ルパン三世「血の刻印」は、「第1作」になった

今回のルパンは銭形、不二子、五右衛門がキャスト交代という、あるいみ節目の作品だった。そして映像としても節目であったと考える。
旧ルパンのOPサーチライトや、なんといってもラストの「呪いを盗んで行った」のくだりを考えるに、これはどこをどうやってもこれまでのルパンからのオマージュだ。そして作品のプロットとして不老不死を出してきた。これは映画第1作のマモーを思い出さずにはいられない。
マモーは監督が鈴木清順で、マモーを演じたのは西村晃と、次作のカリ城から比すると俗にいう「大人のルパン」の雰囲気を残していた。今回は佐藤好春というジブリっぽい(日アニっぽいというかまあ要するに名劇ですな)キャラデザインでこの「大人のルパン」に挑んだ。そしてそれはおおむね成功したと思う。
この「大人」っぽさは、実は声優陣の演技にも現われていて、山寺宏一浪川大輔沢城みゆき、そしてメインゲストに石田彰という、"こっち"にはおなじみのキャストだったにもかかわらず、"こっち"には阿らない、「大人のルパン」な演技をしてくれていた。
これまでのルパンをすべてふまえ、新たなルパンが始まった。いや、新たなルパンではない。ルパンそのものが始まった。これは見て損しないぜ。いやマジ見とけ。

新海誠ニコ生見た。

見返すとか固有名詞調べるとかしませんし論理破綻なんか知ったことか(基本)。

キライじゃない。
多分にそれはおれがおっさんで、こういう作劇にどっぷり漬かっていたからだろうと思う。それと3作品一気見したからというのもあるかもしれない。あと、これがいちばん大きいのだろうけど、メインキャストにまったく感情移入できなかったから。

結局のところこの3作品は同じことをやっているように思った。心と身体とツールだ。特に前2作品においてはまったく同じだったといってもいい。
ほしのこえ」では光速遠距離のメールという枷によって想いが通じ合うことはなかった。どちらも一方的に想いを届けあうが、それを確認することはなかった。「雲のむこう」では断絶された2人が夢というツールで再び出会い、お互いの意志を確認しあうことができた。そして「秒速」では、ツール上においては互いに通じ合っていた2人が、実際に常時接し続けることができなかった、というわけだ。

──と書いてて思い出したことがある。

むかしNIF婚とかパソ通婚なんて言葉があった。まあ、NIF時代おれのことをかわいがってくれた人が実際にNIF婚してるのでその実際はもちろん知っているし、恋愛関係になりつつも破局した例も知っているわけだが、この3作品にはその「空気」が漂っている。

そうだ。想いは募れば募るほど2人の絆を強くする。しかし過度になりすぎるとそれは破滅への一途をたどる。とても簡単な話なのだ。

この「絆」の第一歩として3作品ではすべておさなじみという関係を使っている。小学校2回、中学校1回の転校をしていると、そういうものにはとんと縁がないもので、ぶっちゃけ彼らに感情を向けることができなかった理由もそこにある。

彼らに感情移入できなかっただけに、ひとつひとつの「物語」、というか、ストーリーテリングが気になってしまった。ほしのこえはまだマンガズーに買われる前に見ていたのだけど、そのときから「え、これでおしまいですか」という気持ちは大きく、そのせいもあってその後の作品を見ていなかった。だって「ここにいるよ」だからどうした、という話であってな、じゃあおまえらどうすんの? 出会うために明確になんかしてくれよ、あんなモノローグだけじゃ全然足りないよ、彼女からのメールを読んで彼が部屋から出る、ドアから逆光が射すくらいの暗喩してくれよって思うんだよねおれは。
「雲のむこう」も、エンディングで「ええ、マジでこれも決着付けないの?」と思ってしまった。いっておくが決着というのは、2人が塔を破壊したことではない。そして2人はどうなったのか、ということだ。しかしエピローグで2人が青森に帰ってくるカットがあったおかげで「ああ、"はい、おしまい。"できたのだな」と思ったのだ。

しかし、この2作品では「心が通じ合う」までしか到達できていなかった。じゃあ身体は? という疑問が残る。それに対して出した答えが「秒速」なのだろうと思う。

1話と2話はまんま「ほしのこえ」と「雲のむこう」をなぞっている。親切だなあ。そして3話では1000通のメールでは1cmも接近できなかったとこれまでの2作品を斬って捨てた。おれは最終的にハッピーエンドでもバッドエンドでもどちらでもよかった。疑問に対して「答え」を見せてくれたこと、そのことによっておれはしっかりとカタルシスを得ることができた。

ということで、おれはこの3作品をさらにひとつにまとめた「作品」として「ああ、いいお話だった」と評価したいと思う。おわり。