まどマギの前編を見た

なんてったって(死語)、おれ録画してあんのに本編見たのニコ生一気放送(2011/10/19の……おおほぼ1年前!)1回だけですんでそのへん夜露死苦(死語)。っていうか更新したのいつぶりだ。


ひとは死ぬ直前にこれまでの人生をまるで早送りのように脳内で再生するのだという。俗に走馬燈なんていうふうに呼ばれている。

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編]始まりの物語」はまるで走馬燈のようなものだった。後半の盛り上がりのところまで8話分、エッセンスを完全に詰め込んでいた。まどか、さやか、マミ、杏子、キュゥベエ、すべての関係を余すところなく描写し、しかも魔法少女の秘密も明確に提示した。ぶっちゃけ短時間で見られたぶんこっち見た方が理解度は高いと思う。
まあとにかく4時間分の内容を約半分にまとめた結果、シーンとして印象に残る場面はあまりない。そう、マミさんのあのシーンですらも! 淡々と進むのみだ。まさしく「ああ、こんなことあったなあ」「そうそうこんなこともあったなあ」という記憶の整理だ。

これではまるで我々がほむらになってしまっているではないか。
時間を巻き返し、みずからの願いのために魔法少女となって戦うほむらと。

ああ、ほむらは走馬燈をずっとずっとずっと見ているのだなあ。影絵がまわりつづける本来の走馬燈のように。終わることなくグルグルと。

──やっぱり主人公はほむらだったんや!(ドカバキ


TVシリーズ」という時間を巻き戻し、映画という「2度目の闘い」に挑んでいる我々は、後編+新作によって未来を変えることができるのだろうか。

少なくとも変わることは変わるだろう。そうでなければ我々が時間を巻き戻した意味がなくなってしまう。ただ、それがループからの脱出なのかまた新しいループへの突入かはまだわからない。後編も同じ時間確保されているのならば、のこり4話をまるまる流しちゃってもいいわけだが、そんなことはしないだろう。
それに、ほむらが巻き戻したことによって生じた因果も我々が巻き戻してしまったことによってさらに増強されてしまった。その強大な力を使い、まどかはどのような願いを望むのだろう。たぶんそのあたりが新作の話になってくるのだろうなあとは思う。


考えてみれば我々はいちど15年分以上を巻き戻すという壮絶なほむら体験をしていたのだった。エヴァで。しかも現在進行形でループに巻き込まれている。この秋は2つの大きなループがらせんになるのか、脱出不能なリングになるのか、はたまた新しいなにかが生まれる日になるのか、なんてことを考えはじめている。なんで小説オチになった。