何者にもなれなかったおれが彼に告げたいこと

いやほんとはアニマス前半のこと書こうと思ってたんですけど。

おしまいと書いたので、あの方に向けて書くことはもう決してないのだけれど、それでもなんやかんやでそれとは別に書かねばならぬ人ができてしまった。その彼だけのために書く。他の人は読まなくていいです。むしろ読むな。なお、その彼も読まなくていいというのは言うまでもない。


彼は敗北者でもなんでもない。そんなことはアニメを見てきた人間なら誰でもわかることだ。革命児ではあっただろう。だが、革命者だったかというと、それは違う。
彼の作品で心を突き動かされ、生き方が変わった者もいるだろう。ではそれをもって「革命」と呼ぶべきなのか。それは違う。

革命はレジームが変わるということだ。それは個人個人の体験から始まり総体的なうねりとなるものであって、体験そのものではない。だからこそ渡辺美里はわざわざ「マイ・レボリューション」と歌ったのだ。

「世界を革命する力を!」は、エヴァナデシコを経た時代においてとてつもなく強い言葉だった。もちろんその言葉は彼が産み出した物である。だが、その言葉を言わしめたのは、彼女だった。彼女が発した言葉だからこそ言霊を持ちえたのだと思う。彼女はあの閉塞された場所(=彼女らにとっての世界)を打破し、そこに捕まえられていた多くの人を「革命」することを期待されていたはずだ。

だが彼女は最終的にどうなったか。彼女は彼女の世界を革命することができたのだろうか。変えられたのはただひとりじゃなかったか。あの作品でこの世界は革命できたのか。変わったのはみんなの心ではなく、作品を見ていた一人一人の心でしかない。

だからおれはブクマで「あなた『も』変えられなかった」と書いた。
では彼は革命に失敗した敗残者なのか。否。

いま、新しい作品で彼は「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」と言っている。おそらく多くの人がこの言葉を上から投げつけられているかのように感じている。それは大間違いなのだとおれは言いたい。過度に反応してはならない。その言葉はお前のすぐ横でささやかれている。敗残者であるならそんなすぐ近くでこんな言葉を語るわけがない。彼はあのときからずっと戦いつづけている。勝負などついてはいないのだ。

新しい作品がまだ進行中である以上、この言葉の真意がどこにあるかはわからない。むしろ終わってもわからないだろう。それゆえに心に刺さる力は大きい。だが、だからといってそのトゲが必要以上に刺さってはならない。心臓に刺さる致命傷であってはならない。

あの日、あの作品を見終わった水曜日、クリスマスイブの6時半から14年後のいま、彼について語る言葉をさほど持っていないおれが彼に思うことはこれだけだ。



今回も革命しようとしているのですか。

かっこいいぜ、幾原邦彦